第1話 梅月堂にいってみた。そこに待ち受けた災難

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七日町にある、ドトールコーヒーの入ったビル。
この何の変哲もないビルこそが、今回ピックアップするYT梅月堂でございます。
何でこれをピックアップするかというと。
このビル、73年間、同じ姿でここに建っているんです。
その当時からみたら、超モダンです。

日本のモダニズム建築の代表ともいえる、山口文象が立てたビルがそのまま残っているんです。

梅月堂のオープンハウスがあるというから行ってみようじゃないか。
ということで、行ってきました。

その日は山口文象の直の弟子である伊達美徳さんという方が講師で、山口文象と山形の関係などを通して、建物の保存を考えるというような趣旨のものを開催していました。
時間は14時から16時の2時間。
会場は梅月堂ビルの2階です。

講演は山口文象の生い立ち、文象と山形を結んだきっかけ、近代日本の建築資産の3本立て。

まずは、山口文象の生い立ち。
1902年生、浅草生まれ。
山口文象は祖父が宮大工、父が現在の清水建設の清水組の大工の棟梁。
生まれながらにして、エリートです。
やはり文象は大工の道へと入り、その後中條精一郎からの紹介で逓信省に入り、逓信省の建築家と共に設計の修行を行っていきます。
上司の山田守に認められ、設計を任されるなど、メキメキ力をつけていきました。
そのうちに留学する機会に恵まれ、グロピウスの元で勉強。
帰国後いつしか日本の名建築家に仲間入り。
齢34にして、このYT梅月堂を設計。

という感じのお話を年表で追いながら聞きました。
それは約1時間くらいだったような。

話はそれから、山口文象と山形を結んだ要因。
それを聞きたくてその日はここに来たもの。

だったが・・・・・寒すぎる。

異常に寒い。
手と足の指先が、寒いを通り越して痛い。
全身の筋肉がすくんで肩こりがひどい。
意識が遠のく。

それもそのはず、現在のYT梅月堂は2階3階は現在は使われておらず、内装をすべてはがした状態。

ものすごく壁が薄い、しかもコンクリート造。
ほぼ外の気温と一緒。(その日は5℃以下)

北海道出身の私はものすごく寒さに弱いため、この状況に命の危険を感じ、講義の途中で退室してしまいました。
講師の伊達さん、その他関係者の皆様、すみません。
20℃以下の室内は室内と認めません。外です。

手真っ赤です、室内霜焼けです。
その冷えをいち早く回復するために、コーヒー屋に急ぐ。
混んだ店内でカフェラテを注文後、カフェラテが出てくるのを待つ。
待つ。

ん?

カフェラテが来ない。

お店の人が私に気づく。

店員「あの・・・何をご注文でしたか?」

私「あ・・・あの、カフェラテです。」

店員「申し訳ありません、今すぐ席までお持ちします!」

何だかこちらこそ申し訳ない気分。しばし席で待つ。
お待たせしました~と店員が来る。

店員「すみません、お詫びにこちらサービスします。」

私「ありがとうございます、何だかすみません。」

と、席に置かれたのがこちら。


画面中央にご注目。


サービス品・・・アイスかよっ!

体を温めにきたはずなのに、アイス。
何だかついてるようで、ついてない。
そんなこと言いながら、アイスも平らげてしまう私。

後日、梅月堂は仕切りなおすことにしました。


で、後日。


山形R不動産担当黒田さん、鈴木めぐさん、山本くんと4人で梅月堂リベンジです。

梅月堂オープンハウスでは、講演を行った2階の公開はしておらず、3階で図面やその当時の資料の公開のみをしていました。

梅月堂は2階は、カフェ、レストラン、3階はホールとして使われていました。
当時の人もここから街の中の景色を見ながら食事やおしゃべりをたのしんだのでしょう。

そもそも、梅月堂と山口文象の関係とは。

山形市出身の佐久間茂七と一人の若者が関係しているようです。
東京の神楽坂で一流の菓子店として商売をしていた紅谷に茂七が婿入り。
4年という短い期間の修行の後、年齢が若いうちに紅谷分店店主となる。
この茂七が仕掛け人のようです。

茂七と山口文象の直接の関係は確認されていないようだが、神楽坂で何かしら、あったのでしょう。
その後、茂七が七日町の現在の梅月堂の位置に土地を買い、大正14年にそこで茂七の義兄が梅月堂を創業。
七日町の道路拡幅のため建物を取り壊し、その後昭和11年に現在のYT梅月堂が完成したようです。

開店イベントに、有名映画スターを呼び、新聞の記事をにぎわせたみたいです。
モダンな男女がこぞって訪れたこと間違いなしです。
「東北唯一の近代式新興建築の粋」と言われ、人々に愛された梅月堂。
茂七はまさに、故郷山形に錦を飾ったと言ってもいいでしょう。


何の変哲のないビルに見えるかもしれませんが、山形の街の中を長いこと見つめてきた、歴史とストーリーのある建築です。
山形の隠れた名建築です。

建築の中に入ることが出来る機会は少ないですが、山形に居るなら一度見に行ってみてください。

4人で見学の後、私が写真を撮っていて残り3人に置いていかれたことは、秘密にしておこう。

■ADDRESS:山形県山形市七日町1丁目4-26

地図(GoogleMapにリンクします)

コメント(3)

はじめまして。京都の7です。
ある時期、仙台に二年ほど居た折、山形のゆるい雰囲気が好きで休日にはドライブがてら行ってました。
ミニシアター系の映画館も充実していて、いろんな意味でメジャーなセンダイに対してマイナーなヤマガタと相互補完しているなぁと思いました。また、自称ヤマガタフリークでした。ヤマガタ銀行にも意味無く口座をつくったりと・・・ジャングル大帝レオの通帳だったのような・・・・。
それはさておきこのドトールさんは、お金が無いときにまったりするにはよい場所でしたが、冬場の窓際が寒かった覚えがありますが、その建物がまさか山口文象とは・・・。2階、3階のガラス当時からなんですか?

山形R不動産リミテッド、これから楽しみにしています、頑張ってください!

京都の7さん

コメントありがとうございます。となりのブログを書いている黒田といいます。

あの建物の2階3階のガラスは、作られた当初のままです。73年前からモダンなんです。
驚きですよね。今は周りの建物がモダンになってきて、同化しちゃってますけど。

隣のブログもアップしていくので、そっちも宜しくお願いします

上のコメントでは”2階3階のガラスは、作られた当初のまま”と言いましたが、実際には”改装を経て、現在に至ります。”でした

このブログについて

どこかおかしい東北芸工大生たちが、山形市のいいお店、きれいな景色、おいしい旬な食べ物などを紹介していく。住んでいる人も知らないものもここには載っている。まさに山形ミ○○ラン!!彼らの「山形でのあそびかた」はこんな感じ。

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