第14話 237円で午前5時の山形駅を探索2

再びおはようございます。
前回は山形駅の駅舎の構造と、私の吝嗇な様をつづったので、今回は歴史に触れて書きたいと思います。

山形駅は、明治34年に官営鉄道の山形駅として開業しました。現在の奥羽本線(新庄-東京間)の終点だったそうです。
その後、幾度かの改装工事を経て、昭和42年に民衆駅として改築され、駅+商業施設の形の建物になりました。

こちらが現代の山形駅の駅ビル『山形エスパル』
ざっくり言うと、1階はおみやげ屋さん、2階から上は山形の(女子の)流行を支えるファッションビルとなっております。
本屋さんや、英会話教室などもあります。

そんな山形エスパルも、まだ夢の中のようです。

このように駅ビルの併設の話になったのは、山形県史によると、昭和35年に山形市民衆駅建設促進委員会が(駅前の香澄町共栄会を中心に)、山形民衆駅の建て替えを促す団体として組織され、そこの中で、「(商業施設つきの)駅ビルを建てる際は、民衆駅と地元の駅の共存共栄を考えるために、企画に参加させてほしい。」というような一文があり、そのときから持ち上がったのではないかと考えられます。
この時代から大型商業施設と、商店街の微妙な距離感みたいなものが見え隠れしています。
しかし、お互いを盛り上げていこうという心意気は、現在私たちが見習わなければいけないところです。

余談ですが、現在の山形駅周辺の商店街の様子といえば、駅東口側はデパート、ビジネスホテル、そしてお父さん方(それから若者のため)の飲み屋さんが軒を連ねています。
新山形駅の落成式には商店街の方々が挙ってお祝いしたそうです。
旗を振って新幹線をお出迎えしたそうです。

本筋に戻って、昭和42年に3代目の山形駅が誕生し、『山形ステーションデパート』の営業が開始されました。デパートに必須の屋上の遊園地つき。地下1階、地上2階建て。
この時代でも山形の最先端を担っていました。
大人も子供も電車がくるまでの待ち時間などで、遊んだり、買い物したり、休憩したこと違いありません。

昭和42年の建替え前の資料です。(著書名:ふるさとの想い出写真集明治大正昭和山形p.65)
上段が昭和初期のもの、下段が民衆駅直前の山形駅です。

昭和42年から2002年の新幹線開通による改装以前のステーションビルがこんなかんじです。(著書名:山形大辞典p.945)

この山形駅の様子は、かの有名なスタジオジブリのアニメーション『おもひでぽろぽろ』の中でも見ることができます。
山形駅、駅前通の様子がちらちら垣間見えているので、気になる方は是非ともチェックしてみてください!

と、山形駅の歴史を気にかけながら、午前5時の山形駅をフラフラ浮遊していた私は、東京と山形の気温差と暇と戦っていましたが、山形の早朝の気温の低さに敗れ、結局駅前のコンビにで(手数料210円を泣く泣く払って)お金を下ろしてしまい、午前6時半ガストで朝食とドリンクバーで体を温めたのでありました。
ちなみに8時のバスの時間までずっとコーヒーで粘っていました。
最初からお金下ろせよ、自分。

午前5時の山形駅は、退屈さよりも兎に角寒いので、羽織るもの一枚持っておくのが良いということが身にしみてわかりました。
そして、退屈しのぎのためにもお金は237円以上持っておきましょう。

この後体調を崩したことは、言わないでおきます。


■ address:山形県山形市 山形駅

(文・写真:松浦照子 著書名:ふるさとの想い出写真集明治大正昭和山形p.65、山形県大百科事典p.945)

このブログについて

どこかおかしい東北芸工大生たちが、山形市のいいお店、きれいな景色、おいしい旬な食べ物などを紹介していく。住んでいる人も知らないものもここには載っている。まさに山形ミ○○ラン!!彼らの「山形でのあそびかた」はこんな感じ。

著者紹介

松浦照子
黒田良太
工藤裕太
西田朋未
青山京平
鈴木芽久美
笹島由加利
山本将史
小畑めぐみ
高橋秀詠
青山真彩美
米谷亮
佐藤英人
小野岳
小林史明
石母田諭
木嶋遥香
加藤愛花里
矢吹駿
関根逸美
小野寺涼
菅原かずさ