実は最近、僕は交通事故にあいました。
命に別状はなかったけど、通院が必要と診断されました。
それで初めて急患や大学病院のシステムを経験して、あることに気がつきました。
案外、街中と病院のシステムの関わりが深いことに。
今回はその話。
大体急患は、市立や県立病院か大学附属病院に行く。
交通事故の場合、保険の関係で『診断書』が必要なため、大きい病院に診断を受ける。
でも、大きな病院は自宅から遠いし、待ち時間が長いので、その後自宅近くにある開業の病院を紹介される。
病院の場所がばらばらなので、通院がめんどくさい。
どれも自宅の近くにあるといいのにと思ってしまう。
だが、街中だとそれが叶ってしまう。
右側の大きな建物が『済生館』という市立の病院。この通りの奥にはミサワクラスがある。
街中には救急車も良く来る大きな市立病院があり、街中のあちこちには開業の病院がある。
街中なら、『診断書』や大きな病院の待ち時間の問題に対応でき、通院の問題も、街中に住んでいれば解決される。
僕も、近くの病院を紹介される前は遠くにある大学附属病院に通っていた。
忙しい中の通院は面倒だった。
今はミサワクラスの近くにある病院に通院しているので、歩いて行ける。
その辺はすごく助かっているが、やはり僕には大学があるので、忙しい中通院するのはかなり厳しい。
改めて、交通事故には遭いたくないと思った。
でも今回の経験で、もしものときにはなにかと都合のいいのが街中だと思った。
もし、街中居住が当たり前になれば、建築と都市の機能が連動した街になる。
実は、街中に住んでしまえば、病院のシステムに連動するようになる。
救急車が街中の病院に急患患者を運んできて、その患者はその後、何度も来るはめになる大きな病院への面倒さも軽減され、別の病院へと転院した後も面倒にはならない。
様々な施設との物理的な時間距離の問題が、街中に住むことでコンパクトに収まる。
そう考えると、コンパクトシティの考え方がもっと都市計画に反映されても良いのではないか?
(文と写真=黒田良太)